📌 この記事の結論
医療業界15年で気づいたのは、会社の評価=自分の人生と思い込む怖さでした。業界の変化に揺らされながら、40代の私は「朝活・新NISA・ブログ」の3つで会社の外に出口を作り始めています。同じ業界・同じ世代の方へ、当事者の視点から共有します。
医療業界で会社員として15年。
気づけば、入社したころの景色は、本当に変わりました。
長時間勤務が当たり前で、接待が日常の延長線上にあって、夜遅くまで会社のデスクに座っていた20代。
今は、オンラインでの面談が増え、記録と規制に縛られ、同期はどんどん減っていきました。
業界そのものが、ずいぶん変わってしまったように感じます。
そして、業界が変わるのと並行して、私自身の働き方も「変わらざるを得なかった」というのが正直なところです。
この記事では、医療業界15年で見てきた業界の変化と、その中で私自身が選んだ「外に出口を作る」という生き方の変化を、当事者の視点からゆっくりお話しさせてください。
入社当時の業界の風景
入社した当時、私たちの業界は、長時間労働と会食が当たり前の世界でした。
夜19時、20時ごろにいったん会社に戻り、そこから会議。
会議が終わると、上司との飲みに連れていかれて、家にたどり着くのは日をまたぐことも珍しくありませんでした。
それでも、翌朝は8時には出社して、車に乗って取引先を回る。
二日酔いを引きずったまま運転していた日も、正直、何度もあります。
よくあれで事故を起こさなかったな、と今になって思います。
取引先との会食も、日常の延長線上にありました。
そして、支払いはこちら側が持つのが当たり前という空気でした。
当時はそれを「そういうものだ」と受け止めていたのです。
いま考えると、よくあんなペースで走り続けていたなと、半ば呆れる気持ちで振り返ります。
そして、もうひとつ正直に書いておきたいことがあります。
これだけ長時間労働をしていても、当時の私たちには、残業代がきちんと支払われるわけではありませんでした。
会社の都合のいいように働かされて、それでも「会社員とはそういうもの」と思い込まされていた、というのが実態に近いと思います。
新人だった私は、それを「働く、ってこういうことなんだろうな」と素直に受け止めていました。
深く考える余裕もなく、ただ目の前の業務と人間関係に追われて、毎日があっという間に過ぎていきました。
いま振り返って、あの時代の働き方を「よかった」と感じたことは、正直、一度もありません。
それでも当時の私は、ほかの世界を知らないまま、ただ走り続けるしかなかったのです。
この15年で起きた、業界の4つの大きな変化
この15年で、医療業界の景色は本当に変わりました。
私が当事者として体験した変化は、大きく4つあります。
| 変化 | かつて | 今 |
|---|---|---|
| 働き方 | 対面訪問・夜まで会社 | オンライン中心・記録分単位管理 |
| 関係構築 | 接待・人間関係勝負 | コンプラ厳守・公的情報のみ |
| 同期 | 多くが同じ会社で長期勤務 | 半数以上が別ステージへ |
| 職種の意義 | 圧倒的な存在価値 | 役割そのものが問い直される |
1. デジタル化と、オンライン面談の定着
最初の大きな波は、デジタル化でした。
かつては紙の資料を抱えて、何件も訪問することが当たり前。
打ち合わせも、対面で顔を合わせることに意味がある、という前提でした。
そこに、コロナをきっかけにオンライン面談が一気に広がりました。
気がつけば、対面が「特別な機会」になり、オンラインが標準になっていったのです。
移動時間が大幅に減ったぶん、効率は上がりました。
ただ、対面で築いていた関係性が、画面越しではなかなか同じ深さにならない感覚もあります。
「便利になった」と「何かが薄くなった」が、同居しているのが正直なところです。
2. コンプライアンス強化と、接待文化の消滅
もうひとつ大きかったのが、コンプライアンスの厳格化です。
かつての「人間関係で勝負」という働き方は、もう通用しません。
何をするにも記録が必要で、規制と社内ルールに縛られ、夜の接待文化はほぼ姿を消しました。
これは社会的に見て、正しい方向への変化だと私自身も思います。
一方で、新人時代に染み込んだ「人と人のつながりで仕事を作る」感覚を、別の形で再構築する必要が出てきました。
ベテランほど、その変化に戸惑いを感じている部分もあるかもしれません。
3. 人員削減と、長期勤務が当たり前ではない時代
そして、もうひとつ静かに進んでいるのが、人員削減です。
同期も、後輩も、先輩も、それぞれの事情で次のステージへ移っていきました。
気づくと、入社時に並んでいた顔ぶれが、ずいぶん減っています。
「ひとつの会社に長く勤める」ことが、当たり前ではなくなってきました。
業界そのものの規模感も、少しずつ変わってきていると感じます。
そして、4つ目。
私の職種そのものの存在意義が、根本から問い直されはじめました。
4. 自分の職種そのものの存在意義の変化
私が入社する前の世代の働き方は、いまの基準で見ると、なかなか衝撃的だったと聞いています。
取引先への接待、御用聞き、人間関係そのもので仕事を回していく——そういう面が、はっきりと強かった時代でした。
私が入社したころは、その「古い時代の名残」が、まだ少しだけ残っていました。
夜の会食も、上司との飲みも、生活の延長として違和感がなかったのは、業界全体がまだそういう空気を引きずっていたからだと思います。
そして今、私たちの仕事は、「公的に決められた情報を、正確に伝える役割」へと、立ち位置が大きく変わりました。
伝えられる範囲は、公式の資料に書かれていることだけ。
それ以上を口にするのは、コンプライアンス違反になります。
ここで、業界の中にいる私自身、ずっと考え続けている問いがあります。
「決められた範囲の情報しか伝えられないのなら、わざわざ私たちが訪問する意味は、本当にあるのだろうか」と。
その資料は、いまはネットで誰でも閲覧できます。
取引先は、自分のタイミングでそれを読むことができます。
オンライン面談が主流になり、対面で会う時間も圧倒的に減りました。
もちろん、人と人の関係の中で生まれる信頼や、現場で困っている方の声を会社に持ち帰る役割は、いまも残っています。
ただ、そこに昔のような「圧倒的な存在意義」があるかと聞かれると、正直、自信を持って首を縦に振れない自分がいるのです。
業界の中で、自分の職種そのものの存在意義が問い直されていく感覚。
これは、ほかの3つの変化以上に、私の足元を揺らしました。
そして、その答えを会社の中だけで探していても、永遠に見つからないのではないか、と感じるようになったのです。
この4つの変化は、それぞれ単独でも大きな揺れですが、同時に押し寄せたのが、この15年でした。
私の働き方も「変わらざるを得なかった」
業界がここまで変わると、自分の働き方も、自然と変わっていきます。
長時間勤務は、いまや誰もが警戒する対象になりました。
出退勤の記録は分単位で管理され、残業時間も上限が厳しく設定されています。
当時の「夜まで会社にいるのが普通」という感覚は、すっかり過去のものです。
移動時間が減り、自由になる時間も増えました。
表面的に見れば、確実に「働きやすく」なっています。
ただ、その自由になった時間と引き換えに、別のものが増えました。
それが、「将来への漠然とした不安」です。
業界が変わるスピードに、自分が追いつけているのか。
このまま会社にいて、5年後、10年後の自分はどうなっているのか。
体力も、集中力も、20代のころのままではいられないのに、求められる成果は減りません。
「忙しさで考えなくて済んでいたこと」が、自由な時間ができたぶん、頭に浮かんでくるようになったのです。
業界が変わって、はじめて気づいた「依存」の怖さ
ある時期から、自分の中で違和感がふくらんでいきました。
業界が変わり、会社の中の自分の役割も、少しずつ変わってきました。
正直に言うと、自分たちの存在価値そのものが問われるような場面が増えてきたのです。
かつてのように「いて当たり前」ではなく、「なぜ必要なのか」を問い直される時代に入った。
そのことに、頭ではなく、感覚で気づき始めました。
そして、もうひとつ大きかったのが、体調の変化です。
40代に入ったあたりから、電車に乗るのが少しつらい日が、ぽつぽつと出てくるようになりました。
派手な症状ではないけれど、確実に「今のままでは続かないよ」と、心と体がサインを出してきたのです。
そのとき、はじめてはっきり気づきました。
「会社の中での評価が、いつのまにか自分の人生のすべてになっていた」と。
40代の私には、家族がいて、健康があり、これからの長い時間があります。
それなのに、頭の中の優先順位は、いつのまにか「会社」一色になっていました。
これはまずい、と素直に感じました。
そして、自分の周りを見渡してみても、同じことを考えさせられる光景が増えていました。
同期は、半分以上がこの場所を離れていきました。
先輩も、後輩も、それぞれの事情で次のステージへ移っていきました。
驚いたのは、どれだけ結果を出してきた人が辞めても、会社は何ごともなかったかのように回り続けるということでした。
「代わりはいくらでもいる」というのは、こういうことなんだなと、しみじみ感じたのです。
そして、辞めていった人たちと、その後も連絡を取り合っていることは、正直ほとんどありません。
あれだけ毎日顔を合わせていた人たちとも、会社という場所を離れた瞬間、関係はすっと薄くなっていきました。
会社は、給料をもらって働く場所。それ以上でも、それ以下でもない。
当たり前のことなのに、長く中にいると、つい忘れてしまうのです。
そのことに気づいたとき、会社に依存しすぎていた自分が、少し馬鹿馬鹿しく感じられました。
だから40代で、「外に出口」を作りはじめた
体調と気持ちを少しずつ整えながら、私は3つのことを、ほぼ同時に始めました。
ひとつめは、朝の時間を取り戻すこと。
夜まで会社に依存していた生活から、朝5時に起きて、自分のために動く時間を作るようにしました。
冷たいシャワーを浴び、軽く筋トレをし、勉強やブログの作業をする。
このルーティンが、心と体を整えてくれました。
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ふたつめは、お金を「会社の外」でも育てること。
NISAやiDeCoを活用しながら、長期で資産を作る仕組みを整えました。
給与が将来ずっと右肩上がりとは限らないと、業界の変化を見てきたからこそ、強く思うようになったのです。
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そして、みっつめが、ブログという「自分の媒体」を持つこと。
会社の中だけでなく、外の世界に向かって自分の言葉で発信する場所。
すぐに収益化はできなくても、長く育てていけば、いずれ「会社以外の出口」になってくれる、と信じて続けています。
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3つを同時に始めるのは、正直しんどい部分もあります。
ただ、業界の変化を真正面から見てきた身としては、「ひとつの場所にすべてを賭けない」という感覚が、もう自分の中で揺らがなくなってきました。
同じ業界の40代へ、伝えたいこと
私と同じように、医療業界に長くいる40代の方へ。
あるいは、別の業界で同じような変化を感じている同世代の方へ。
最後に、いまの私から伝えたいことが3つあります。
ひとつめは、業界の変化は、必ず自分にも届くということ。
「自分のところはまだ大丈夫」と思っていても、波は確実にやってきます。
早めに気づくほど、選択肢は広くなります。
ふたつめは、会社の中での評価がすべてではない、ということ。
評価を気にすること自体は悪くありません。
ただ、それが「自分の人生の点数」と直結してしまうと、業界が揺れたときに足元から崩れてしまいます。
評価とは別軸に、自分を支えてくれる柱を持っておく。これが思った以上に効きます。
みっつめは、外に出口を作るのは、いまからでも遅くないということ。
朝の時間、お金の流れ、自分の媒体。
どれも、はじめは小さな一歩で大丈夫です。
私自身も、まだ途中にいます。一緒に、ゆっくり育てていけたらと思います。
まとめ:これからの15年は、自分で選びたい
入社してから15年。
業界の景色は、本当に大きく変わりました。
そして、これから先の15年も、もっと変わっていくでしょう。
そのときに、ただ流されるのではなく、自分でも舵を握っていたい。
それが、いまの私のいちばんの本音です。
このブログでは、これから「医療業界物語」という形で、業界の中から見えてきた景色や、お金との向き合い方を、少しずつお話していこうと思っています。
日々の朝活や収益化の物語とあわせて、読んでいただけたらうれしいです。
最新の記事は、できるだけ朝の時間に更新していきますので、よかったら覗きにきてください。
🌅 朝5時の、ちいさなアクションプラン
- 自分の業界の「5年前」と「今」を、紙に書き出してみる
- 会社の評価以外で、自分を支えてくれる柱を1つ思い浮かべる
- 朝の30分だけ、「外の出口」を育てる時間に使ってみる
※本記事は医療業界に勤める一個人の体験と感じたことに基づいています。業界や働き方の感じ方には個人差があり、特定の企業・業種を代表するものではありません。
